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2014年09月13日
2014年沖縄の旅(宮古島 その2)No.23
今日は7月14日です。
これから離島の伊良部島に向かって出発です。
高速船「うぷゆう」で島に向かいます。

朝8時過ぎです。
島からかなり多くの高校生が降りてきましたが、これから島に向かうお客さんは少なかった。

高速船なので15分くらいで伊良部港に到着です。

早速予約していたレンタカーを借りて島を廻ります。
「その2 No.23」でアップする場所を同じように赤丸で示しますね。

まずは「佐和田の浜」です。
浅瀬に大きな岩がたくさんありました。
これは1771年に島を襲った明和の大津波によって運ばれてきたそうです。


ここから海岸線を左方向に廻ります。
伊良部島西側にある島が下地島ですが、この二つはくっついているように見えます。
この下地島にパイロットの訓練飛行場があり、周辺の海は蒼くてとても綺麗でした。




時間的に訓練はおこなわれていなかったので夕刻また来てみます。
先に進んで滑走路の中間地点位のところに「通り池」というところがありますのでそちらに向かいますが、その間の海岸はどこもこんな感じて
綺麗でした。


大通りから「通り池」に行く入り口に案内石板がありました。
ここから海岸方面に入り1.1Km先です。


こんな木々の間の細い道を進むと

やっと入り口の石碑に着きました。

とても神秘的な池が2つあります。
池の大きさは 、内陸側が直径が55m、水深40mでもう海側は直径75m、水深は50mです。2006年5月に国の名勝・天然記念物に
指定されました。
ここの水は上のほうが淡水で、下は海とトンネルで繋がっていて海水になっているようです。
この通り池には二つの伝説があります。
一つは「ユナイタマ伝説」です。
昔この付近に小さな村があり漁で生計を立てていましたが、その中の1人が人魚を捕まえてきました。
人魚の肉を食べると不老不死になるので食べようと思いましたが、1人では食べ切れなかったので、村の人に分けてあげました。
その夜その家の親子が声がするので外に出ると、「早く帰っておいで。」と言う声が海のほうから聞こえてきて、「私は身体半分を食べられて
しまったので、簡単に帰ることができません。」と言う声も聞こえてきます。
「それでは波を起こすので、それに乗って帰っておいで。」
「それでは一回では乗り切れないので、3回大波をお願いします。」
こんな話し声を聞いて、親子は伊良部島に急いで逃げ出しました。
しばらくすると沖から大波が3回押し寄せてきて村は大波に呑まれました。
漁師の家の跡には大きな穴が2つできていました。これが通り池です。
この伝説の大津波は、1771年に起こった明和の大津波であるとも言われていますが、通り池がそれでできたのかどうかは定かでは
ないようです。
もう一つは「継子伝説」です。
ある男が妻に先立たれて、幼い一人の男の子と暮らしておりました。
彼は漁師なので子供を家に残して漁に出なければならず、時には一晩中、漁に出たまま帰らないこともありました。
そのためどうしても後妻を貰わなければならなくなり、彼は新しい妻を迎えました。
新しい妻との間にも程なく男の子が産まれました。
二人の子供は異母兄弟として仲良く育ちました。
しかし、この女は、継子である上の子供をことのほか憎んでいて、何とか殺してしまいたいと常日頃から考えておりました。
夫には全く知られないように用心深くかわいがっているふりをしました。
ある日、夫は夜を徹して漁に出ることになりました。
継母はこの日を待っていたのです。
漁に出た父親の帰りを通り池で待とうと言って、女は二人の子供を連れて家を出ました。
通り池のあたりで父親の帰りを待つうちに夜もだんだん深くなってきました。
継母は通り池のふちに適当な場所を探して二人の子供を寝かせ、自分も添い寝をしていました。
しばらくすると下の子供が目を覚まして兄に「岩がごつごつして眠りにくいから、寝る場所をかわってくれ」というのです。
兄は弟がかわいそうと思い、寝る場所をかわりました。
継母はこのことに気がつかず、ぐっすりと眠っておりました。
そして夜も深々と更けた頃、継母は目を覚ますと、寝返りを打つふりをして下の方に寝かせてあった子供を通り池に突き落としました。
そして上の方に寝かせてあった子供を抱えると、一目散にその場を逃げ出したということです。
子供の悲鳴と大きな水音を後にのこして女は夢中になって逃げ出しました。
そうして部落近くまで来るとようやく気を静めて一息つきました。
この時自分が必死になって抱えてきた子供が「弟はどうしたの」と聞いたので、よく見ると今、通り池に突き落としたはずの継子を抱えて
いるではないか。
女は初めて自分が通り池に突き落とした子供が自分の実子であることに気がつきました。抱いてきた継子を放り投げると、自分の子の
名前を呼びながら通り池に向かって走り出しました。
しかし、今更どうすることも出来ずとうとう女は気が狂ってしまったということです。
今日では、継子といえども同じように可愛がって育てねばならないという教訓として広く各地で語り伝えられているようです。
二つとも悲しい伝説ですね。


また元の大通り戻り、さらに100m行ったところに「巨岩(帯岩)」があります。
帯岩と言われるのは真ん中あたりが帯で締められたように凹んでいるからそう呼ばれます。
この岩は明和8年3月10日(1771年4月24日)に大津波で打ち上げられた巨大な岩と言われています。
岩の名前は「オコスゴビジー」とも言われています。
岩の大きさは高さ12.5mで全長(周り)は60m近くあるそうです。
現在は信仰が形作られて、航海安全や家内安全などの祈願も行われるようになったようですね。


<続く>
これから離島の伊良部島に向かって出発です。
高速船「うぷゆう」で島に向かいます。

朝8時過ぎです。
島からかなり多くの高校生が降りてきましたが、これから島に向かうお客さんは少なかった。

高速船なので15分くらいで伊良部港に到着です。

早速予約していたレンタカーを借りて島を廻ります。
「その2 No.23」でアップする場所を同じように赤丸で示しますね。

まずは「佐和田の浜」です。
浅瀬に大きな岩がたくさんありました。
これは1771年に島を襲った明和の大津波によって運ばれてきたそうです。


ここから海岸線を左方向に廻ります。
伊良部島西側にある島が下地島ですが、この二つはくっついているように見えます。
この下地島にパイロットの訓練飛行場があり、周辺の海は蒼くてとても綺麗でした。




時間的に訓練はおこなわれていなかったので夕刻また来てみます。
先に進んで滑走路の中間地点位のところに「通り池」というところがありますのでそちらに向かいますが、その間の海岸はどこもこんな感じて
綺麗でした。


大通りから「通り池」に行く入り口に案内石板がありました。
ここから海岸方面に入り1.1Km先です。


こんな木々の間の細い道を進むと

やっと入り口の石碑に着きました。

とても神秘的な池が2つあります。
池の大きさは 、内陸側が直径が55m、水深40mでもう海側は直径75m、水深は50mです。2006年5月に国の名勝・天然記念物に
指定されました。
ここの水は上のほうが淡水で、下は海とトンネルで繋がっていて海水になっているようです。
この通り池には二つの伝説があります。
一つは「ユナイタマ伝説」です。
昔この付近に小さな村があり漁で生計を立てていましたが、その中の1人が人魚を捕まえてきました。
人魚の肉を食べると不老不死になるので食べようと思いましたが、1人では食べ切れなかったので、村の人に分けてあげました。
その夜その家の親子が声がするので外に出ると、「早く帰っておいで。」と言う声が海のほうから聞こえてきて、「私は身体半分を食べられて
しまったので、簡単に帰ることができません。」と言う声も聞こえてきます。
「それでは波を起こすので、それに乗って帰っておいで。」
「それでは一回では乗り切れないので、3回大波をお願いします。」
こんな話し声を聞いて、親子は伊良部島に急いで逃げ出しました。
しばらくすると沖から大波が3回押し寄せてきて村は大波に呑まれました。
漁師の家の跡には大きな穴が2つできていました。これが通り池です。
この伝説の大津波は、1771年に起こった明和の大津波であるとも言われていますが、通り池がそれでできたのかどうかは定かでは
ないようです。
もう一つは「継子伝説」です。
ある男が妻に先立たれて、幼い一人の男の子と暮らしておりました。
彼は漁師なので子供を家に残して漁に出なければならず、時には一晩中、漁に出たまま帰らないこともありました。
そのためどうしても後妻を貰わなければならなくなり、彼は新しい妻を迎えました。
新しい妻との間にも程なく男の子が産まれました。
二人の子供は異母兄弟として仲良く育ちました。
しかし、この女は、継子である上の子供をことのほか憎んでいて、何とか殺してしまいたいと常日頃から考えておりました。
夫には全く知られないように用心深くかわいがっているふりをしました。
ある日、夫は夜を徹して漁に出ることになりました。
継母はこの日を待っていたのです。
漁に出た父親の帰りを通り池で待とうと言って、女は二人の子供を連れて家を出ました。
通り池のあたりで父親の帰りを待つうちに夜もだんだん深くなってきました。
継母は通り池のふちに適当な場所を探して二人の子供を寝かせ、自分も添い寝をしていました。
しばらくすると下の子供が目を覚まして兄に「岩がごつごつして眠りにくいから、寝る場所をかわってくれ」というのです。
兄は弟がかわいそうと思い、寝る場所をかわりました。
継母はこのことに気がつかず、ぐっすりと眠っておりました。
そして夜も深々と更けた頃、継母は目を覚ますと、寝返りを打つふりをして下の方に寝かせてあった子供を通り池に突き落としました。
そして上の方に寝かせてあった子供を抱えると、一目散にその場を逃げ出したということです。
子供の悲鳴と大きな水音を後にのこして女は夢中になって逃げ出しました。
そうして部落近くまで来るとようやく気を静めて一息つきました。
この時自分が必死になって抱えてきた子供が「弟はどうしたの」と聞いたので、よく見ると今、通り池に突き落としたはずの継子を抱えて
いるではないか。
女は初めて自分が通り池に突き落とした子供が自分の実子であることに気がつきました。抱いてきた継子を放り投げると、自分の子の
名前を呼びながら通り池に向かって走り出しました。
しかし、今更どうすることも出来ずとうとう女は気が狂ってしまったということです。
今日では、継子といえども同じように可愛がって育てねばならないという教訓として広く各地で語り伝えられているようです。
二つとも悲しい伝説ですね。


また元の大通り戻り、さらに100m行ったところに「巨岩(帯岩)」があります。
帯岩と言われるのは真ん中あたりが帯で締められたように凹んでいるからそう呼ばれます。
この岩は明和8年3月10日(1771年4月24日)に大津波で打ち上げられた巨大な岩と言われています。
岩の名前は「オコスゴビジー」とも言われています。
岩の大きさは高さ12.5mで全長(周り)は60m近くあるそうです。
現在は信仰が形作られて、航海安全や家内安全などの祈願も行われるようになったようですね。


<続く>
Posted by 夏が好き2 at 23:26│Comments(2)
この記事へのコメント
こんにちは
「夏が好き2」開設おめでとうございます。
まだまだ続く人生を楽しみましょう。
今度の沖縄の旅はかなり細かいところまで回ったのですね。
八重山生まれのオジイでも行ったことがない、見たことがない
所の写真に驚きました。
また来年沖縄に来るんですよね。
写真楽しみに見ています。
「夏が好き2」開設おめでとうございます。
まだまだ続く人生を楽しみましょう。
今度の沖縄の旅はかなり細かいところまで回ったのですね。
八重山生まれのオジイでも行ったことがない、見たことがない
所の写真に驚きました。
また来年沖縄に来るんですよね。
写真楽しみに見ています。
Posted by おきなわのオジイ
at 2014年09月15日 09:55

おきなわのオジイさん
以前のブログ容量がいっぱいになり新規に登録しました。
これからもよろしくお願いいたします。
今回は海だけでなく時間があるときに御嶽も探して廻りました。
案内所に行けば結構情報があるので割と簡単に廻れますが、場所によってはその周囲の人も知らないところがあったりして探すのに苦労するところもあります。
でもそれも人と話ができて新しい発見があり楽しいものです。
もう少し続きますのでまた見てください。
以前のブログ容量がいっぱいになり新規に登録しました。
これからもよろしくお願いいたします。
今回は海だけでなく時間があるときに御嶽も探して廻りました。
案内所に行けば結構情報があるので割と簡単に廻れますが、場所によってはその周囲の人も知らないところがあったりして探すのに苦労するところもあります。
でもそれも人と話ができて新しい発見があり楽しいものです。
もう少し続きますのでまた見てください。
Posted by 夏が好き at 2014年09月15日 20:26