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2014年09月22日

2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

さらに北上します。
今回の場所はいつもの赤丸のところです。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

はじめに「ふなうさぎバナタ」です。
サシバのオブジェが印象的な展望台があります。
勇ましく飛び立つサシバは、伊良部町のシンボルだそうです。

フナウサギバナタとは、宮古島の方言で『船を見送る岬』という意味だそうで、ここから船の往来を見ていたんですね。
昨年のこの場所の写真を見ると階段の横に案内板があったのに、今回はありませんでした。
以前の案内板にはこう書かれていました。

ふなうさぎバナタ
名前の由来は、昔、沖縄本島のなどに旅立つ人や出兵兵士を見送った処からきています。
また、松の木などの木材を、この場所から海に落とし帆船で運んでいた、ということで「木ーうるすバナタ」とも称しています。
島からの旅立ちに、多くの人がいろんな思い出手を振っていたところです。」
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

これより少し先端の岩場から見る海がとても綺麗でした。
岸壁そばの色がとても鮮やかな濃い碧色でした。
水も水中も綺麗だからこそ、太陽の加減や見る角度でこんなに鮮やかで綺麗に見えるんですね。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

もう少し北上するとこの伊良部島の最北端で「白鳥岬」があります。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

ここは砂地は少ないですが高さも高くないので、簡単に海に入ることができます。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

「2014年沖縄の旅(宮古島 その2)No.23」で紹介しました下地島の「パイロット訓練飛行場」は先ほど訓練が行われていなかったので
もう一度様子を見に行きます。
時間は4時過ぎでしたがタッチアンドゴーが何度も行われていました。
ここで一人前のパイロットになる訓練をするんですね。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

このすぐそばに魚垣という名所があります。
水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた宮古島市伊良部の「魚垣(カツ)(ナガキ)」です。
魚垣は、潮の満ち引きと遠浅の地形を巧みに利用した伝統漁業で、石垣島の白保にもありました。
この漁法は海から岸の方向へ両手の如く放射線状に石を積み、魚の逃口を1ヶ所造っただけです。

このそばに案内板がありました。
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市指定有形民族文化財「魚垣(カツ)」
指定年月日昭和54年(1979年)5月11日

佐和田の浜西方、カタバルイナウ(内海のイノー)に位置する。
現在の「魚垣(かつ)」は1950年頃、善平マツによって整備されたと伝えられている。
構造は、北側から南へ放射状に石を積み、南に向かって左側は300m程で、右側は60m程である。放射状の頂点部が出口になっている。
高さは、海底の地形にあわせて、高いところで1m、低いところは50cm程である。面積は3ha程で、石垣は二重構造(二重積)で頑丈に
できている。
出口は水路の幅が50cm、長さは3mくらいである。
漁の形態は、佐和田の浜の遠浅を巧く利用したもので、周囲を石で囲み、潮が満ちるときに魚が入り、潮が干くとき出口に網を張って、
魚を採る漁法である。
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他の説明では
魚垣 (有形文化財)
伊良部島の古式漁業の沿革にあるこの魚垣漁は、いつ頃、誰によって始められたかは詳らかでないが、自然現象の推移等から
考え合わせて推測すると、恐らく1771年の大津波以後のことであろうと想像できる。
それは、大津波の際、大小様々の岩塊や砂礫が打ち上げられたという事実があり、カツに石網として積まれていることである。
当時は徒歩の漁の時代であるので、住民は岩に隠れた魚や石を転がして魚を捕ったものと考えられている。
このような経験を積み重ねている中に、石網を考案したであろうと推察する。
この漁法は海から岸の方向へ両手の如く放射状に石を積み、魚の逃口を一ヶ所造っただけである。石経験を根底として日毎に築き上げ、
積み重ねた生活の知恵として「カツ」は歴史遺産として、又、文化遺産として極めて価値の高い物といえる。
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決まるまでには結構時間がかかったでしょうね。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

夕刻になりましたので民宿に行きましょう。
今夜宿泊する民宿は「カテラ荘」です。
結構大きな民宿ですが宿泊者は僕一人でした。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

この民宿の前にあるバス停の名前が「タキフガー」という変わった名前でした。
そこには立て看板があり「ダキフ井戸」と書いてあります。
説明によると

伊良部町指定文化財

名 称    ダキフ井戸(史跡)
指定年月日  昭和56年12月23日
地 番    伊良部屋敷24番地
地 目    池 沼
地 積    117m2

このダキフ井戸の由来はkの一帯に自然林の森があり竹のようなダキフ(タンチク)の植物が繁茂していたのでダキフ井戸と呼ばれた。
井戸は円形状、堀抜き井戸、壁面石積み直径230cm、深さ350に掘られ人畜の命の源として昔を偲ばせる。
この井戸が部落民によって掘られたのは伊良部村から仲地村として分村しない前の1500~1700年頃で最も古い井戸で大親主時代
ではないかと推定される。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

この横に非常に大きなガジュマルの木があります。
この樹は昔、「ヤスルギー」と呼ばれていたようです。
ヤスルとは1反(300坪)の広さを表す言葉で、昔はガジュマルの枝がこの井戸をも覆い、道の反対側の敷地をも覆っていたようで、
その枝ぶりのみごとさから人々はこの樹を称える意味も込めて「ヤスルギー」と呼んだそうです。

いろいろな言い伝えがおもしろいですね。
2014年沖縄の旅(宮古島 その5)No.26

伊良部島はこれで終わりです。
明朝、宮古島に戻って宮古島を回ります。

<続く>



Posted by 夏が好き2 at 16:18│Comments(4)
この記事へのコメント
夏が好きさん
こんばんわ
COCOAです

病気もお薬のおかげで
よくなり、普段の生活に
戻りました
ご心配おかけしました

もうすぐ、仕事復帰です(*´∀`*)
また、がんばります

こんばんわ
みうです
運動会がんばりました
今年はたおれなかったのでお母さんに
心配かけなかったです
小学生最後の運動会だったので
一生懸命がんばりました
夏が好きさん、お母さんも元気になってきました
でも、みうも、もっともっとおかあさんを
助けようと思います
Posted by cocoachan at 2014年09月22日 21:29
cocoachanさん・みうちゃん
こんばんは
良くなったようですね。
安心です。
でもこれから涼しくなってくるので体調には気をつけてください。
無理せずそして毎日を気持ちよく過ごしてくださいね。

みうちゃん、こんばんは
運動会頑張った様子が写真でよく分かりますよ。
よく頑張りましたね。

それからお母さんが具合悪いときに料理作ったり、いろいろお手伝いして、みうちゃんも頑張ったね。
ほんとうに、みうちゃんは心の優しい女の子です。
お母さんはとても喜んでますよ。

これからもお母さんと仲良く楽しくしてね。
Posted by 夏が好き at 2014年09月22日 22:24
こんばんは 

宮古の海は やっぱり美しいです

仕事とは別に 一度ゆっくり観光したいと思います
Posted by namimanamima at 2014年09月23日 20:24
namimaさん
こんばんは。
宮古島の海も本当に綺麗でした。
これから宮古島内を廻わった写真を順次アップしますが、どこも綺麗でうっかりすると時を忘れてしまいそうになりました。

今度は観光でご家族と廻ってみてください。
Posted by 夏が好き at 2014年09月23日 22:03
 
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