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2014年10月01日
2014年沖縄の旅(宮古島 その8)No.29
池間島を後にして、宮古島の最南端にある「来間島」に向かいます。

池間島から約50分くらいで「与那覇前浜ビーチ」に着きました。
砂浜が広くて海の青さが綺麗です。
正面に見える橋が「来間大橋」で右に見える島が来間島です。

この海岸で水圧で浮き上がるフライボードをやっていました。
バランスとるのが難しそうですね。

すぐ横に前浜港があります。

この来間大橋を渡れば来間島です。

周囲の海の色は沖縄本島の古宇利大橋の周辺とよく似てとても綺麗な色をしています。
言葉で色の表現が難しいくらいの色合いです。

逆光でもこんなに綺麗な色を発しています。
驚きです。

橋を渡って島のちょうど反対側(西側)に「長間浜海岸」があります。
長間浜は700mくらいの広い砂浜なので、少し南側の岩場ある場所に行きます。
岩の模様がとてもユニークで綺麗でした。
綺麗なので数枚並べてみますね。











ちょうど引き潮だったので砂に海水の流れた跡が綺麗に残っていました。


あちこちに小さな洞穴があります。
中から外を見ると海辺の別荘の窓から覗いているようで違った雰囲気になれます。
無理だけど、、、、別荘あると良いな~

ここにも変なおじさんが居ました。

来間島のちょうど真ん中あたりに「スムリャーミャーカ」があります。
これは石造りの墳墓でその特色が史跡になっています。
石碑にはこのように書かれていました。
県指定史跡 「スムリャーミャーカ」
指定年月日: 昭和50(1975)年2月13日
来間集落の南約800mにあるスムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)で、古くは来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカ
とも呼ばれ、大正時代まで使用されていたという。
東西約9m、南北約6.5mの長方形で、高さは2.5mある。
上は、3.5m×3mの大きさの板状の石でおおわれている。柱となっている石にはみぞの跡があり、上部に木造の構築物があったかのように
みえる。
墓の内部からは、14~15世紀ごろの青磁片等も見つかっていて、ミャーカの特徴をよくあらわしている。
史跡ですがこのような雑な感じで、管理されてるのかよく分かりません。

来間島離島振興総合センターの建物の前を通って海岸方面に向かうと正面に展望台のような建物が見えます。
右手には名前が分からない御嶽がありました。
なかに入らない方が良さそうだったので鳥居前から礼拝だけで済ませました。

展望台は大きな木の形で作られていました。

ここは来間島の港のすぐ上の位置になり、大橋が目の前に見えます。

ここから少し北西方面に400m行ったところに「竜宮城展望台」があるので行ってみます。
確かに竜宮城の形です。
屋根の上にシーサーが居ました。

この展望台からの景色です。
正面が宮古島本島の与那覇前浜海岸です。


時間も5時を過ぎたのでこれでいったん宿に帰ります。
途中であの有名な宮古島の「宮古まもる君」が交差点に立っていました。
安全運転で帰りましょ。


<続く>

池間島から約50分くらいで「与那覇前浜ビーチ」に着きました。
砂浜が広くて海の青さが綺麗です。
正面に見える橋が「来間大橋」で右に見える島が来間島です。

この海岸で水圧で浮き上がるフライボードをやっていました。
バランスとるのが難しそうですね。

すぐ横に前浜港があります。

この来間大橋を渡れば来間島です。

周囲の海の色は沖縄本島の古宇利大橋の周辺とよく似てとても綺麗な色をしています。
言葉で色の表現が難しいくらいの色合いです。

逆光でもこんなに綺麗な色を発しています。
驚きです。

橋を渡って島のちょうど反対側(西側)に「長間浜海岸」があります。
長間浜は700mくらいの広い砂浜なので、少し南側の岩場ある場所に行きます。
岩の模様がとてもユニークで綺麗でした。
綺麗なので数枚並べてみますね。











ちょうど引き潮だったので砂に海水の流れた跡が綺麗に残っていました。


あちこちに小さな洞穴があります。
中から外を見ると海辺の別荘の窓から覗いているようで違った雰囲気になれます。
無理だけど、、、、別荘あると良いな~

ここにも変なおじさんが居ました。

来間島のちょうど真ん中あたりに「スムリャーミャーカ」があります。
これは石造りの墳墓でその特色が史跡になっています。
石碑にはこのように書かれていました。
県指定史跡 「スムリャーミャーカ」
指定年月日: 昭和50(1975)年2月13日
来間集落の南約800mにあるスムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)で、古くは来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカ
とも呼ばれ、大正時代まで使用されていたという。
東西約9m、南北約6.5mの長方形で、高さは2.5mある。
上は、3.5m×3mの大きさの板状の石でおおわれている。柱となっている石にはみぞの跡があり、上部に木造の構築物があったかのように
みえる。
墓の内部からは、14~15世紀ごろの青磁片等も見つかっていて、ミャーカの特徴をよくあらわしている。
史跡ですがこのような雑な感じで、管理されてるのかよく分かりません。

来間島離島振興総合センターの建物の前を通って海岸方面に向かうと正面に展望台のような建物が見えます。
右手には名前が分からない御嶽がありました。
なかに入らない方が良さそうだったので鳥居前から礼拝だけで済ませました。

展望台は大きな木の形で作られていました。

ここは来間島の港のすぐ上の位置になり、大橋が目の前に見えます。

ここから少し北西方面に400m行ったところに「竜宮城展望台」があるので行ってみます。
確かに竜宮城の形です。
屋根の上にシーサーが居ました。

この展望台からの景色です。
正面が宮古島本島の与那覇前浜海岸です。


時間も5時を過ぎたのでこれでいったん宿に帰ります。
途中であの有名な宮古島の「宮古まもる君」が交差点に立っていました。
安全運転で帰りましょ。


<続く>
Posted by 夏が好き2 at 21:44│Comments(2)
この記事へのコメント
はいさい 夏が好きさん
前浜ビーチ 一番好きなビーチです 昔の沖縄のビーチ!
子供の頃 川平の底地ビーチも
前浜に負けない美しいビーチでした
市街地のパイナガマビーチも綺麗なビーチです
開発も必要ですが 美しい海が無くなる事は悲しいです
前浜ビーチ 一番好きなビーチです 昔の沖縄のビーチ!
子供の頃 川平の底地ビーチも
前浜に負けない美しいビーチでした
市街地のパイナガマビーチも綺麗なビーチです
開発も必要ですが 美しい海が無くなる事は悲しいです
Posted by namima
at 2014年10月02日 21:59

namimaさん
こんばんは。
この周辺の海の色はとても綺麗ですね。
確かに昔は、まだ開発されていない頃の沖縄の海はどこもこんな色だったんでしょうね。
いろいろな海を見て、何となく想像できます。
開発による生活の改善のかわりに自然破壊が生じる。
この二つのことがどちらもうまくいく方法ってないんでしょうか。
先を見つめ、両立を真剣に考えれば何かありそうな気が僕はします。
こんばんは。
この周辺の海の色はとても綺麗ですね。
確かに昔は、まだ開発されていない頃の沖縄の海はどこもこんな色だったんでしょうね。
いろいろな海を見て、何となく想像できます。
開発による生活の改善のかわりに自然破壊が生じる。
この二つのことがどちらもうまくいく方法ってないんでしょうか。
先を見つめ、両立を真剣に考えれば何かありそうな気が僕はします。
Posted by 夏が好き at 2014年10月02日 23:13