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2015年08月17日

2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

今日は竹富島を出発して西表島の船浮に向かいます。
いつものように、民宿小浜荘の前をスタッフの方が綺麗に清掃していました。
屋根の上のシーサーもしっかりと様子を見てます。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

船とバスを乗り継いで西表島の道の行き止まり最西端に来ました。
ここが白浜港です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

船で約10分くらいで陸の孤島船浮港に着きます。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

静かな船浮集落です。
案内地図が港にあります。
まずはこれが西表島全体で赤矢印の場所が船浮です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

この集落をアップしたのがこれです。
約40人くらいの小さな集落です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

今日は船浮集落を散策してみましょう。
港のすぐ側に琉球真珠の西表養殖場があります。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

ここで真珠貝を入れるカゴを修理していました。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

この前を通って進むと旧日本軍が使用していた壕があります。
第二次世界大戦の時、この船浮は重要な軍事拠点とされ船浮要塞が建設されました。
その要塞に行くトンネルです。奥の白いところが出口です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

内部はこんな感じでその当時のままだそうです。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

トンネルを抜けるとその先には日本軍の要塞跡(特攻艇格納庫跡など)があります。
高台に高射砲や野砲が設置されていたようです。
草むらを歩き進むと3ヶ所までは見れましたが、さらにその奥はかなり多くの草で道も分かりづらく
ハブも出るとのことなのでここで止めました。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

集落に戻ります。
集落からイダの浜に行くところに「東郷平八郎上陸の地」という看板があります。
立てられて時間が経ってるのか文字が見にくくなっています。
ここにはこんな内容が書かれていました。

東郷平八郎(とうごうへいはちろう)上陸の地
~大将とラッキョウの秘話~
明治三八年五月、ロシアのバルチック艦隊の撃沈の重責を負った東郷大将は、
駆逐艦で台湾・宮古・八重山に立ちより船浮港では上陸され学校を訪問。
職員・村人・隊員を励まされ、帰りに立ち寄った民家(次呂久家)で
お茶とラッキョウの接待を受けられ、同年八月に大任を果たされた大将は
次呂久のばあちゃんにラッキョウのお礼のハガキを寄せられた。
このハガキによって学校長も東郷大将であったことを知ったと手記で述べている。
西表館・史跡保存会

このような場所にも来られたんですね。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

先に進むと小さな公園のような「かまどま広場」があります。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

ここには「かまどま之碑」が立っており、この碑にも言い伝えがありました。

かまどまとは昔、船浮に住んでいた絶世の美女のことで、悲しいい物語があるそうです。
船浮に赴任した租内村出身の役人と恋に落ち、楽しく過ごしていましたがあるとき役人は
今で言う転勤を命ぜられた。
二人は泣く泣く別れ、カマドマは帰ってくるのを毎日毎日、この大きなクバサテの木の下で
膝が痛むまで待ち続けました。

この話が民謡の「殿様節」でも唄われているようです。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

さらに先に進むと「イリオモテヤマネコ発見、捕獲の地」という場所があります。
昔はこの近くにも沢山居たんでしょうね。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

その奥に船浮小学校/中学校学校があります。
小さな島や集落の学校は人数が少ないので殆どが小中一緒ですね。
とても広い校庭です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

その側には「船浮御嶽」がありました。
ここでは船浮集落の豊年祭や節祭などの行事が執り行なわれます。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

船浮御嶽イビ門です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

ここから先はもう道が無く行き止まりです。
海岸に出てギリギリ行けるところまで行ってみましょう。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

ここが行き止まりです。
壁の地層が綺麗です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

また周囲の岩も綺麗な模様をなしていました。
地層の何らかの変化で出来たんでしょうね、とても珍しい形です。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

時刻も5時半になったので宿に戻ります。
今日は昨年もお世話になったこの「ふなうき荘」に泊り明朝、船を出してもらってウダラ浜に行きます。
2015沖縄の旅(竹富島から船浮へ)-7

この船浮で一番有名なイダの浜があります。
昨年訪れてその綺麗さに驚きました。
今回は時間もなかったのでこのイダの浜は見に行けませんでしたが、明日の船の上から
見ることにします。
とても綺麗な砂浜で星のリゾートが15ヘクタールを買ってるようですが、住民の反対で
はっきりとしたリゾート地にはしていません。
でも船で観光客を連れて来てました。

<続く>



Posted by 夏が好き2 at 17:54│Comments(2)
この記事へのコメント
船浮のことは、観光案内でも、インターネットでも村の様子は見たことがなくって、とても興味深く拝見しました。
こんなところにまで要塞を作っていたなんて驚きです。
小中学校は広いですね。いつまでも存続されること、願って止みません。
港の近くで釣りしてた子供達、何が釣れるのか気になります。
竹富島もそうだけど、赴任した役人と恋に落ちる話はよくあるんですね。
ふなうき荘。池田卓さんの実家でしょ?
真珠貝のかご作りをしてるおじさんが、卓さんのお父さんだったりして。
星野リゾート やめて欲しい。竹富も西表も星野リゾート。浮ついたリゾートなんて、本土だけでたくさんです。
イダの浜を見てみたい。っていうより、歩いてみたい。
Posted by おきなべおきなべ at 2015年08月17日 21:34
おきなべさん
船浮は本当に小さな集落だけど小さいからこそ良い感じです。
民宿ふなうき荘は池田さんご家族が営んでます。

まず、お父さんは船浮海運をやっていて、この船が白浜港と船浮港を繋ぐ連絡船です。
お母さんはこの小学校の先生なんですよ。
二人とも明るく良い両親の元で卓さんが育ちました。

卓さんは音楽活動の合間に少しでも時間があれば船で地元のいろいろなツアーをやって、この船浮の良いところを皆さんに知ってもらいたいと頑張ってます。今回も良い笑顔でしたよ。

イダの浜は今回行かなかったけれど、星のリゾートが狙うくらい素敵な場所なんです。こんな所に作らないで欲しいですね。
Posted by 夏が好き at 2015年08月17日 23:29
 
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